そこなしハッピーエンド4

本の話とかアイドルの話とか。

橙乃ままれ『黒髪娘「そんなにじろじろ見るものではないぞ」』とか色々

手持ちの材料だけで更新する試み。
アーサー・C・クラークの『幼年期の終り』という有名な古典SFがあります。

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

どういう内容かと言いますと、地球人類をもとに進化した超人類があるとき発生。
超人類からみると幼生体である現人類は年上ロリ、現人類から見ると超人類は年下なので目上ロリとなりwin-win、世界は幸福に包まれたというお話です。


そんな古典の影響もあるのかないのか、日本人が*1ロリコンロマンチックSFが大好きなのは定説となっており、最近もロマンチックSFアンソロジーが発売されていますし、twitterなど眺めていると、SFの話題で『夏への扉』の名前が挙がるたびに苦々しい顔をしているSF者の方が観測されます。

時の娘 ロマンティック時間SF傑作選 (創元SF文庫)

時の娘 ロマンティック時間SF傑作選 (創元SF文庫)

夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))

夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))

この前どこかで聞きましたが、時間SFって、現代では成り立たなくなった問題を再び可視化するのに超便利なんですよね。


それはおいておいて。
主人公がヒロインの師匠的役割をになう作品というのがそれなりにありまして、そういう作品についてうだうだ考えるのが僕は好きなのだなーという気がしていたのですが

スイート☆ライン (電撃文庫)

スイート☆ライン (電撃文庫)

ロウきゅーぶ! (電撃文庫)

ロウきゅーぶ! (電撃文庫)

そんなところに、最近読んだ橙乃ままれさん作『黒髪娘「そんなにじろじろ見るものではないぞ」』がたいへん楽しかったので何か書こうかなと思ったのでした。

ヒロインの黒髪娘はもともとは主人公の祖父の生徒的な存在だった為主人公はそれを先生役を引き継いだ形。
現代と平安時代を舞台にした時間SFなのですが、自分好みの頭のいい15歳を祖父が育ててくれていたって何その日本人の業! という感じで楽しみながら読みました。
姉もいれば親友キャラもいる。あれ、こういう作品にもしかして姉って必須なんじゃないだろうかという気がしてきたのですが、今は日本酒飲んでて酔っているので今度考えます。

こういうSF*2の終わり方って、一昔前は別離にておわるのが、自然だったような気がするのですが、やったね2010年代という感じで幸せですね。



僕何が書きたかったんだろう…
あとで書き足す。


(201005142330書き足し)

男「もうねっ。あー、わかったわかった。
俺は天下のロリコン様だ、こんちきしょうっ」
『黒髪娘「そんなにじろじろ見るものではないぞ」』


ロウきゅーぶ!』の話をします。とりあえず1巻のあらすじを端折って説明。

主人公の昴くん、中学生の頃はトップレベルのバスケットボールプレイヤーであった彼は、現在何故か休部中。
そんな時、昴くんは従姉から小学校の女子バスケ部のコーチを頼まれ、しぶしぶ引き受けます。
女子バスケ部の子達は、一人を除いてちゃんとした指導をうけたことがなく、顧問も素人。
そんな彼女たちの最初の対戦相手は、同じ学校の男子バスケ部。
彼女達が部活を立ち上げたせいで、練習場所を減らされた男子バスケ部は、傍目には遊んでるようにしかみえない彼女たちに腹を立てていました。そんなわけで、練習場所を賭けて試合をすることとなったのです。

その試合は一週間後。短い期間で、個々の選手の能力を底上げすることはできません。昴くんは、それぞれの選手の特性が最高に引き立つ役割分担と、今回の対戦相手に特化した作戦によって彼女達を勝利に導きました。めでたしめでたし。


ざっと説明してみると、小学生の喧嘩に対して、高校生が片側に与して入れ知恵をしたというだけのような。でもそうではなくて。
男子バスケ部は、県レベルでも上位にいけるチームで、当然きちんとした顧問とコーチがいて、指導を受けています。
女子バスケ部は、まともな指導をうけられる環境になかった。昴くんは、当然与えられていたはずのものを、与えただけです。
超高校レベルの選手である昴くんによる指導を受けたということは、彼女たちにとっては大きなことですが、少なくともこの1巻だけでは、将来的に戦うであろう他校との純粋な能力差は殆ど縮まっていません。彼女たちはようやくスタート地点に立てたにすぎない。

重要なのは、昴くんという、自分たちの先にいる人間との出会いを、彼への憧れを通して、彼女達がビジョンを得たことです。
ただ放課後、みんなでボール遊びしているだけでも十分楽しくて、もっと言えばみんなでいるだけで楽しくて、今まではそれでよかった。
ですが、彼女たちはもうそれだけじゃ満足できない。この楽しい現状を否定して、先に進むことを彼女たちは選んでしまった。
それは、勝つことではなくて、もっと遠くを見ることができるということ。
その目線は誰かに与えられたものじゃなくて、彼女たちが、彼女たち自身の内側から発見したものです。

そして、そんな彼女たちと触れ合うことで、昴くんも一度挫折しかけた道へと戻る。*3
しらけてしまった少年が、再びこの一本道を行く力を取り戻すんです。





『黒髪娘「そんなにじろじろ見るものではないぞ」』に戻ります。
主人公の男の子*4は現代人で、この物語自体は黒髪娘*5の存在する平安時代を主な舞台として展開されます。

さてお約束。主人公は平安時代に存在しないものを現代から持ち込みました。
それは、現代の甘味。その他製菓技術。

それ自体は世界を変える技術ではありません。材料がなければ作れないものは作れませんし。
しかしその、世界に存在しなかった味は、一人の少女の目を前へ向けさせるには十分なものでした。

ヒロインの黒髪娘、生まれる時代を間違えたかのように聡明な彼女は、自らのいるべき場所を世界に見出せず生きていました。
しかし主人公と過ごす中で、彼女は自らの生まれた世界と向き合いはじめます。その一歩目が、普段は断り続けていた茶会に参加することでした。

主人公の作った甘味が、黒髪娘の参加した歌会で供されることとなり甘いものは人をまるくするわねいつの時代もおんなじねという雰囲気を作ったりするのですが、それはあくまで場を整えるだけの役目。
黒髪娘は自らの持った能力で茶会を乗り切り、そのおかげで、歌集の編纂という、その時代で、黒髪娘が今までやってきたことの限界点へと到達するきっかけを得ます。
それは、能力にふさわしい場があたえられたということです。

そして、歌集の編纂という、自らの能力に対する最大の結果を形とし、世界へと返した黒髪娘は、主人公と手に手をとって、平安時代を去ります。
今気づいたのですが、当時の女性って紫式部とか清少納言とか、官位由来の名前で呼ばれていたのだから、そこから固有名でよばれる現代人になったということですか。某魔王勇者といっしょですね。



母親がピアノ教師だったり弟が昔バレエやってて自分にとってわかりやすいので例に出すのですが、僕はクラッシック音楽や、クラッシックバレエをやること、古典に触れることというのは、過去から続くレールに乗ることによって、自分が今いる場所が道の途中であること、自分がどこまでいけるのかはわからなくても、前に進めることに気づくことが目的だと思っています。
プロのプレイヤーは気づかせることがお仕事。

昴 (1) (ビッグコミックス)

昴 (1) (ビッグコミックス)

枯れた分野というものもあるので、ひとつのレールに固持するのもなんですが、一歩目を踏み出す方向は、古びたレールだって全然問題ない。黒髪娘の編纂した歌集は、既に今立ってる場所の1000年以上後ろにあって、そして彼女はいまだに前を向いている。


とりあえず黒髪娘可愛いので読むといいですよ。そんなに長くないし。
以上。

*1:主語がでかい

*2:あるいはセカイ系は、とか言い出すと駄目な感じでいいかも!

*3:2巻以降に触れると、その帰還が引き伸ばされ続けていることが云々かんぬん

*4:2chのSSの為、固有名は無い

*5:ヒロインの表記