そこなしハッピーエンド4

本の話とかアイドルの話とか。

試論そのうち消す

  • 一応反論はできるのだけど、僕という人間の特性上他人の言葉と自分の言葉を区別しないで使う為いまやるとこの二日間ぐらいの間に人から聞いた話を全受け売り状態になるので程よく忘れたらまた書く。書いたことは忘れないけど頭の中にあることはだいたい消せる。
  • 合計してもAKB48というコンテンツに1時間も触れないうちに吹き上がってるので誤認は結構ありそうな気がするし既に見つけた。まあそれもそのうち。
  • といいながらひとつ書き出すと、3次元人は劣化していくということの回避策として、アイドルの中心を人から場に移したこと、AKB48という場が女の子の変化の途上を切り取った場として設定されていることが挙げられる。彼女たちのプロフィールには「将来何になりたい?」という項目があり、アイドルになることを到達点とさせてもらえない。常になんらかのベクトルを与えられ、そしてそのままAKB48を去ることになる。アイドルを、ある種スノッブな目標点から「放課後の課外活動の場」に変えたことが今回の発明だろう。

「濃密な日常」として設定された毎日公演という形式、そして確実に過ぎ行く時間は、僕たちがけいおんに見たものだ。それは永遠に続く日常を壊すものでありながら、広く受け入れられた。えいえんを作り出す方法として僕らはゲームのエンディングに合わせてヒロインをあるいは擬似的に殺しその遺影としてのキャラクターグッズを愛でることをかつては選んだし、それに答えるように麻枝准は最初から全員が死んでいるアニメを作りだしているが、死んだ子の年齢を数えることを倦んでいる層は既に僕達をはるかに超えた人数いるのではないか。
その端緒として最近の例ではアイドルマスター2騒動後のニコニコ動画における魔王エンジェルの躍進が挙げられる。終わってしまった漫画のヒロイン達の物語が、有志の手により生成されていく世界。
幻想郷という彼岸におかれたところをスタート地点としながら、多量の物語生成をなされている東方もそうだ。
AKB48に足りない物語はあるだろう。しかしそれはAKB48を通り過ぎて行った女性たちによってまさに自動的に生成されていく。システムは駆動し始めているし、それを維持する為に48という物量は設定されているのだろう。

  • もはやあずにゃんのぼっちを心配する必要もなく次の世代が補充されることを信頼させてくれるだけの物量投入と、その先の物語が見たいという層への供給があるのでシステムとしてはとりあえずOK。あとはコンテンツの質に関する話なのですが、だから俺も1、2曲しか聞いてないんだっつーの。