そこなしハッピーエンド4

本の話とかアイドルの話とか。

朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』担当:横山由依

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)


 男子バレー部のキャプテン桐島が部活を辞めたという出来事から直接的、間接的に影響を受ける5人の生徒の一人称で語られた短編連作形式の小説。2012年に映画化。由依ちゃんは公開中にひとりで見に行ったそうです。
 視点人物の内面と外面の温度差が印象に残る。その温度差を生んでいるのは「自らが輝いていることではなくキラキラしたものを眩しく思う視線をこそ青春と捉える」感覚だろう。桐島に憧れていたバレー部員も、桐島の友人が桐島の帰りを待つ間バスケしている様子を眺めることを楽しみにしていた吹奏楽部員も、視線の中に青春を見出しており自らの気持ちを口にしない。しかしその視線は桐島の不在により物語の開始時点で焦点を失っており、結果それぞれが青春の主体として振る舞いはじめることで各章の物語が駆動していく。
 情熱と行動が一致した存在として映画部員は描かれる。4章の語り手前田とその友人武文は映画部に所属し、自主制作映画を撮って大会で賞をとったりもしている。運動が不得意でオタクに分類される彼らにとって学校という空間はある程度息苦しく映画部の活動も校内では殆ど評価されていない。しかし視線そのものであるところのカメラを構える彼らは視線としての青春と主体としての青春を両立し、彼らを眩しく思っている生徒も存在する。
 アイドルという青春の主体に視線を向ける存在であったファンに対して「好きって言え!」と主張し、アイドルとアイドルファンの非対称性を曖昧にすることで現在のアイドルブームを創りだしたAKB48。そこに所属する20歳の由依ちゃんにとって、この作品で描かれる風景も心情も殆ど既知のものだろう。桐島と前田敦子を重ねたらやりすぎなのでそんな話はしませんが、京都の高校に通いながらバイトして東京までレッスンに通ったりAKB48とNMB48を兼任したり、学校とバイト先、学校とAKB、AKBとNMBと自分の所属する場所を相対化する機会を十分に重ねてきたであろう由依ちゃんに『桐島』の世界はどのように映るんだろう。