そこなしハッピーエンド4

本の話とかアイドルの話とか。

ライトノベル原作アニメに思うこと。その2

うまくまとまらないのでとりあえずメモ。


ライトノベルの最初の1巻は、ライトノベルの中で最もアニメ化に向かない物なのではないか


「これはこういう話なんだ」という物語の前提が視聴者に理解されるための閾値が、絵で表現されるメディアで発表される前提で作られた物語に比べて高い。


アニメ化されるライトノベルは、当然人気のある作品が選ばれる。
人気のあるライトノベルは、その作家のデビュー作であることが多い。


ライトノベルは必ずマンガ、アニメ調の挿絵が付いている。そのことによりライトノベルはまるで絵で表現されることが前提としてあるメディアのように錯覚される。
しかし、1巻目に限っては、絵設定が存在しない、完全に文字だけで表現される状態で執筆される。
そのため絵になった際のわかりやすさは殆ど考慮されない。


ライトノベルは、人気がでたらシリーズ化できるように1巻目で消化されない複線を大量に撒く。
文字媒体で読んでいる時は読み飛ばせるが、アニメ化された際にはそれらの複線情報が多大なノイズとなって、その物語の前提を理解することを阻害するのではないか。


とらドラ!』アニメ版が成功しているのは、『とらドラ!』が作者のデビュー作ではないこと、イラストレーターのヤス氏と前作でも組んでいたことが影響して絵的なわかりやすさが最初から考慮されているからではないか。
大河と竜司の見た目、関係性だけでこの物語の前提はほぼ視聴者に理解される。


とある魔術の禁書目録』1巻は作者のデビュー作であり絵的な解りやすさは殆ど考慮されていない。
本編の漫画化と、スピンオフ版ではスピンオフ版の評価のほうが高いのは、本編1巻がそもそも絵にしておもしろい内容ではないからというのがあるとおもわれる。

主人公が記憶(動機)を失っている、にもかかわらず見知らぬ女の子の涙を止める為に動く人間であるという1巻終盤まで読まないと解らないことが描かれないと物語の前提が視聴者に伝わらない。
病院のシーン放送直後に、で結局当麻は記憶を失ってるの?という感想が散見されたのは単純にアニメがまずかったような気がする。そこ伝わらないとだめじゃん。まあ次週の話みればわかるけど。


少なくとも最初の1,2話で世界設定はともかく物語自体の前提は視聴者に理解されないと、楽しめるアニメにならないのではないか。


大抵のシリーズ物ライトノベルは一巻目のいびつさに対して2巻以降はフレームが定まった状態で売れる限りいつまでも続けていくための構造へと変化するので、視聴者的には「主人公の動機はわかったし、あとは女の子が可愛ければいいじゃん」という状態に移行して楽しめるのではないか。
その状態であれば、いくら物語の消化スピードが遅くても文句はすくないのではないか。


よって必要なのは物語全体のスピードアップではなく、何はさておきとりあえず突っ込まれる前に2巻以降の内容へ移行するために1巻の内容をおわらせることではないか。


もし原作1巻の内容を逐語訳でアニメ化したいのであれば、『涼宮ハルヒの憂鬱』や『バッカーノ』のやり方が最良なのではないか。決してトリッキーな手法を使いたかった訳ではなく、それ以外ない、と選択された手法なのではないか。



あとバトル要素のある作品がアニメ化された際、何故か1話の冒頭からバトルしだすのは時間の無駄なので勘弁して欲しい。仮面ライダーの1話目でライダーが変身しないわけにはいかない、というのと似たような話かもしれないけれど。響鬼さん…


結論。『化物語』がアニメ化された際に、1話冒頭から阿良々木くんがバトルしていたりしたら、僕は泣く。